天下の影に黒田あり!軍師官兵衛『中津城』から起死回生の一手!

中津城アイキャッチ画像大分
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正しい情報は、各観光施設の公式HPをご覧下さい。

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しかし、まだコロナが終息した訳ではなく油断できない状況です。

旅行に行く際には、国道交通省の発表した「新しい旅のエチケット」を守りながら旅行をする様にお願い致します。

旅行日付は2016年5月4日です。
この記事の情報は旅行当時のものであり、現在では変更されている可能性があります。
訪れる際にはご注意ください。
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中津城とは

大分県中津市にあるお城で、
戦国時代の武将『軍師・黒田官兵衛』が築城しました。

当時の天守は、西南戦争時に焼失してしまい、
現在の天守は、1964年に再建されたものです。

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黒田官兵衛

戦国時代、豊臣秀吉に仕えた「軍師」です。
2014年の大河ドラマ『軍師官兵衛』の主人公です。

豊臣秀吉の参謀であり、竹中半兵衛と共に『両兵衛』として有名です。

もともと官兵衛は、播磨国姫路の出身ですが、
1587年に秀吉から豊前の国を与えられました。
その時に築城したのが、この中津城です!

関ヶ原の戦いの時には、この中津城を拠点として、
九州全土を収める勢いでした!

黒田官兵衛としては、
徳川側(東軍:[大将]徳川家康)
豊臣側(西軍:[大将]石田三成)が潰しあっている間に、
九州を攻め落とし、
兵力を強化して、天下を狙おうとしていた訳です!
ずっと豊臣秀吉の参謀を務めてきた官兵衛が、
ついに歴史の表舞台へと出ていこうとしたのです。

しかし、それは奇しくも息子『黒田長政』によって阻まれることになったのです。

中津城の天守閣から見た景色

黒田長政

黒田官兵衛の嫡男で、主に徳川家康に仕えました。
黒田長政が、有名なのは、
関ヶ原の戦いでの功績です。

天下を分けた大戦なのですが、
実は、1日で戦は終了しました。

なぜなら、この黒田長政が、
小早川秀秋を調略していたからです!

小早川秀秋は、豊臣秀吉の親族にあたるのですが、
豊臣側を裏切り、徳川側についたのです。

これにより、形勢は一気に徳川側に傾き、
天下分け目の大戦は、1日で決着が着いたのでした!

また、黒田長政は、関ヶ原の戦いの功績から、
筑前国を与えられました。現在の福岡県ですね。

諸説ありますが、
福岡という地名は、黒田家のゆかりの地である「備前福岡」から
名付けたとも言われています。

黒田長政築城の福岡城

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まとめ

中津城は、一般的に有名なお城ではないですが、
江戸時代の誕生に大きく関わっています。

もし、黒田長政が、小早川秀秋を調略できなければ、
徳川の天下は無く、豊臣の天下が続き、
大阪が首都になっていたかもしれません。

また、黒田官兵衛の思惑通りに、
天下を取ることが出来れば、
もしかしたら、大分が首都になっていたかもしれません。

中津城に行った際には、
黒田の歴史を学んでいくと、
より一層、楽しめるのではないかと思います。

是非、中津城へ行ってみて下さい!

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